日活から映画デビューしたきっかけ

長姉が、私に日活映画のオーディションを受けるように応募したのが、この世界に入るきっかけでした。当時、姉には松竹に入ることが内定していたものの、同時期に結婚も決まってしまい、念願の銀幕入りを断った経緯がありました。それで、自分が果たせなかった夢を、妹である私に託したのです。オーディションを受けたときは、まだ16歳。中学校を卒業して、室蘭文化学院の1年生の時でした。デビュー作『月下の若武者』で、津川雅彦さんの相手役に運よく選ばれ1957年3月に上京した時は、17歳になったばかりの頃でした。

実を言えば、その前にもデビューのチャンスは二度ほどありました。一度目は、長姉が東宝主催のミス花嫁に選ばれた時です。姉の付き添いのため母と一緒にいたところ、東宝の看板プロデューサーだった藤本真澄氏に、お声を掛けていただいたのです。ご存知のとおり藤本氏は「東宝の三人娘の生みの親」といわれていた方です。大変恐れ多いことでしたが、当時はまだ中学生でしたので、母がその場で丁重にお断りしていたのを覚えています。

ところで、小津安二郎監督といえば日本映画を代表する監督ですが、その小津監督の親友が、偶然にも室蘭にある證誠寺の住職におられました。その住職のおかげもあって、姉は松竹に赴くことになったわけです。例に違わず、東京見物に誘われて母と同行しておりましたが、その際に松竹のプロデューサーから、雑誌の表紙を飾らないかとお誘いをいただきました。これが、二度目のお話です。今でいう、グラビアアイドルでしょうか。大変光栄なお話でしたが、やはりまだ中学生ということで、母は断らざるを得なかったようです。

このように、三度目の正直というわけではありませんが、日活に入って映画デビューしたことは、今振り返ってみても、既定路線だったのかもしれません。なお、デビュー作『月下の若武者』については、また別の機会にお話ししたいと思います。

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