上京してからの生活

『月下の若武者』のオーディションに合格して、1957年3月に生まれ故郷の室蘭から東京に引っ越ししてきました。17歳になりたてのまだまだ世間も知らない娘でしたので、両親からは2番目の姉と一緒に暮らすことを条件に、上京が許されました。実は三姉妹で、4つ上の長姉はすでに結婚をしていましたが、2番目の姉は室蘭で就職をしていたため、まだ実家に一緒に住んでおりました。歌を得意としていた姉には、東京で本格的に歌のレッスンを受けて歌手になる夢がありました。そこで、二人は夢と希望を抱いて大都会、東京へと移り住んだのです。

恵比寿の間借りを経て、半年後には初台のアパートを二部屋借りました。京王線沿線ですと、布田にある日活撮影所に通勤するのに便利でした。姉と同じ部屋では窮屈でしたが、隣同士だと何かと心強かったものです。特にありがたかったのは、姉が料理上手だったので、食事の心配をすることなく暮らせたことでした。

ところで、北海道の田舎から出てきた私にとって、東京の混雑した電車に無理やり乗り込むなんて、なかなかできるものではありませんでした。一度、乗り込みに失敗して、メイクボックスごと電車とホームの間に落としてしまったこともありました。他には、普通乗車券で急行に乗ってはいけないと勘違いし、ずいぶん電車を逃していたなんてことも…。こんなことの連続で、つくづく都会での生活の大変さが身に沁みていました。それでも、電車で通勤の必要がなくなるまでに、それほど時間はかかりませんでした。

当時は、映画が週に2本ペースで作られていた時代でしたから、『月下の若武者』に出演以降、おかげさまで順調に仕事もいただき、車で移動するようになったのです。ただし、本格的に俳優としての活躍をするのはもう少し後のこと。北海道弁がとれなくて、モデルの仕事をいただいておりました。ですから、映画で活躍するようになった当初は、モデル出身の俳優だと思われていた方が多かったようです。なお、モデルの仕事については、また別の機会にお話ししたいと思います。

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