戦後の映画産業

戦後の娯楽といえば、映画でした。それを証拠に、映画館は連日、大入りの満員どころか立ち見の人でぎゅうぎゅう詰めの状態でした。今も昔も娯楽の街といえば新宿ですが、戦後には今よりもたくさんの映画館がありました。劇場の中だけでなく前にも、常に人が溢れかえっていたものです。戦後の復興の中で、銀幕の世界が人々に夢や希望を与えていたのでしょう。そんな活気あふれる戦後の映画産業で、中心的な役割を担っていたのが、他ならぬ日活です。

その日活の花形スターといえば、筆頭は間違いなく石原裕次郎さんです。裕ちゃんは国民的な大スターでしたから、女性だけでなく、男性も憧れる存在でした。ある時、人で溢れる劇場の前を通ったところ、裕ちゃんの映画を見終わったばかりの人が、本人になりきってトレンチコートを着て、そっくりの歩き方をして劇場を後にしていました。それが、一人や二人ではないのです。その光景を見て、うれしくて、思わず微笑んでしまったのを覚えています。それは、裕ちゃんと同じ映画界にいて、人々に夢を与える仕事に携われることを、誇りに思える瞬間でもありました。

ところが、戦後の映画産業が活況だった時代は長くは続きませんでした。テレビの普及が進むにつれて、娯楽の中心が映画からテレビへと急速に変化していったからです。それは、まるで日本の復興のスピードについて行っているかのようでした。実際、私自身もテレビドラマへの出演意欲が湧いてきた頃と重なるところです。

1963年映画産業が斜陽になる少し前に、一足先にフリーになりました。5社協定もあり、なかなか難しいこともありましたが、そのお話はまた別の機会にしたいと思います。

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