川地民夫さんとの思い出

ター坊の愛称で親しまれていた、川地民夫さん。当時ター坊は、偶然にも小髙が住んでいた世田谷代田の同じアパートの並びに住んでいました。ちなみにそのアパートのオーナーは有名人が大好きで、四軒あるアパートの部屋の住人はすべて芸能人でした。一番手前が小髙、その隣は歌手の岸洋子さん夫妻、その並びにギタリストの高橋さん(下のお名前は失念しましたが、高橋是清氏のご親戚とか)、そしてター坊が住んでいました。当時、小髙と交際していることは秘密にしていたのですが、ター坊は薄々気がついていたかもしれません。何しろ、ター坊のデビュー作が、奇遇にも小髙と同じ「陽のあたる坂道」(1957)というご縁もあって、ふたりはとても仲良くしておりましたから。

ところで、ター坊との共演は数少なく、仕事でのお付き合いはあまりありませんでした。でも、話す機会はしばしばありました。というのも、ター坊は小髙を慕っておりましたので、自宅にお電話をいただくことが多かったからです。当時は携帯電話がありませんでしたから、連絡は専ら自宅の電話でした。夫が出られない時は、私が話し相手になりますので、何かと話す機会があったのです。ター坊はいつも「まゆみーー」と、必要以上に語尾を伸ばしました。他にそのように呼ばれる方も居なかったので、とても独特でした。

実はター坊が亡くなる直前の暮れに、久々に電話がかかってきたのです。「まゆみーー、元気ー?最近どうしてるのー?」って。「ちょっとさー、足が悪くて杖をついているんだー。」と言って、次に倒れたら復帰は絶望的なので、そのままにしてほしいと奥様に頼んでいるとか…そんな暗い事を言ってるから「大丈夫なの?元気でいないと!」って、励ましたのを覚えています。思えば、それがター坊との最後の会話になりました。

ター坊とのスチール写真を眺めていると、今でも「まゆみーー」と、呼ぶ声が聞こえてくるようです。2月10日は、ター坊の命日。たくさんの思い出を、本当にありがとう。天国で、小髙と再会していますように…。

次回は、役者仲間の憩いの場だった、世田谷の自宅についてお話しします。

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