海を求めて葉山へ(1977~)

夢破れてイタリアから帰国後、小髙は短期の療養を経て俳優活動を再開しました。日活に見切りをつけたかったものの、それから連続テレビドラマと映画にそれぞれ一本ずつ出演しておりました。いずれも帰国後にオファーがあったものですが、そこには断りきれない理由がありました。それは、ドラマがとても魅力的な役どころだったのと、映画は石原プロモーションが制作に関わっていて、裕ちゃんから直々にオファーを受けたものだったからです。

ドラマはナショナルゴールデン劇場「花と龍」(1970年3月〜5月)で、主演の渡哲也さんを支える三枚目の役どころでした。満身創痍で挑んでおりましたが、このドラマにおいても相変わらず人一倍、役作りに拘っておりました。体調が思わしくない中、スケジュールに穴を開けないよう自ら注射を打ちながら役に打ち込んでいたのを、ハラハラしながら見守っていたのを覚えています。実際、撮影終了後はさらに体調を悪くして、再び入院することになってしまいました。ですから、このドラマの出演で俳優生命が絶たれたと言っても過言ではありません。それだけに小髙の演技は、言葉には尽くせないほどの素晴らしいものでした。俳優小髙の遺作と言ってもよいほどの作品ですので、機会があればもう一度観てみたいと願っています。

そして映画は、日活での最後の出演作品となりました「スパルタ教育 くたばれ親父」(1970年8月12日公開)です。この撮影を最後に小髙は同年6月18日、正式に日活を離れました。しかし、イタリアの帰国からドラマと映画の出演を相次いで果たし、精魂使い果てたためか深刻な病魔に冒されておりました。騙し騙し仕事をしては休んでを繰り返していたのですが、ついには起き上がる事もできず、世田谷の自宅で寝たきりの生活を送っていたのです。実は、余命の宣告も受けており、医者からはあと2年くらいしか生きられないだろうと言われていました。その時、どうせ短い命なら、大好きな海を眺めながら過ごしてほしいと思い立ち、すぐさま物件を探し始めました。とにかく一刻も早く引越ししなければならないと考えていたからです。

仕事の都合上、首都圏から大きく離れることはできなかったため、湘南エリアを中心に探し始めました。なかなか見つからないため、東伊豆から熱海、下田まで探しました。とにかく海辺の家に住みたかったのですが、海を近くに眺めながら過ごせるところは探すのが難しかったですね。その頃、私についたあだ名が「不動産屋」でした。おかげさまで不動産に詳しくなってしまって、周りからはそのように揶揄されていたのです。そして最終的には、知り合いの伝手で葉山の物件に辿り着きましたが、そこまでに約一年がかかりました。

ようやく引っ越しの日、寝たきりの小髙を毛布に包んでタクシーに乗せて葉山の新居に向かいました。そこは、葉山の御用邸のすぐ隣、築100年にもなる茅葺屋根が特徴の一軒家でした。海が目の前に迫って、これ以上ないほどの贅沢な環境でしたので、小髙もさぞかし喜んでくれるだろうと期待しておりました。しかし、葉山に着いてただ一言、「残酷すぎる」と…。独り言のように呟いたのを聞き逃しませんでした。身動きできなく、目の前の海にさえも触れることができないことへの消沈は、私の想像を遥かに超えるものでした。それでも、余命幾許もない小髙を支えるには、心を明るくして気丈に自らを奮い立たせなければならなかったのです。

次回は、葉山での暮らしについてお話します。

叶わなかったイタリアでの夢

映画が斜陽産業になってから、日活も生き残りをかけてロマンポルノへ移行するまでの過程で、作品にも少しずつポルノの要素が増えていったそうです。私は既に日活を離れていましたが、小髙はまだ所属しておりましたので、その辺りの話も聞かされておりました。ある日、小髙が渡された台本を見て「やってられない」とばかりにゴミ箱に叩きつけたのを誰かに見られてから、日活との関係も悪くなってしまったとか…。とにかく役者として更なる高みを目指していたところ、日本にいる理由がないと思ったのでしょうね。当時は私も忙しくしていたので、小髙が密かにイタリアで挑戦したいという話は割と直前に聞かされました。

実は、小髙がチネチッタ撮影所に行きたいと思うきっかけは二つありました。一つは俳優座の一期上のモヤさん(仲代達矢さん)が、一足先にチネチッタ撮影所で西部劇に出演された話を聞いたことです。どんな作品かはわかりませんでしたが、小髙が「モヤが出てるので自分も」と呟いていたのを覚えています。もう一つは、小髙が親しくしていた大学の先生が声楽の勉強をしにイタリアへ行くという話を聞いたことです。その先生は小髙とあまり歳はかわらなかったのですが、何故だか「おとうさん」という愛称でした。この「おとうさん」の詳しい話はまた別の機会にしたいと思いますが、その方が留学するタイミングに合わせて小髙もイタリアに行きたかったというわけです。

まず「おとうさん」が先にイタリアに行って、小髙の住むアパートの手配などをしてくれていました。それから小髙は日活に見切りをつけて、日本を離れたのです。当初、イタリアに2年は住む予定でした。私はといえば、イタリアで挙式をしてから少しの休暇を取る予定でしたが、状況を見て一緒にイタリアで仕事を探すつもりでした。日活を離れてから6年が経ってドラマ出演などで忙しく活躍していましたが、やはり夫を近くで支えたい思いが強かったのです。ただし、マネージャーの小橋さんにはまだ言えないでおりました。今思うと、何とも言えない不安な気持ちがあったんでしょうね。小髙は元々病弱でしたし、何となく嫌な予感はしていたのかもしれません。

結局、イタリアでの挙式も小髙の夢も幻に終わりましたが、その後、療養の為に移住した葉山での生活が何事にも代えられないほどの価値あるものでしたので、私の中では帳消しになりました。おそらく小髙も…。そこで次回は、二人の葉山での暮らしについてお話ししたいと思います。

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