叶わなかったイタリアでの夢

映画が斜陽産業になってから、日活も生き残りをかけてロマンポルノへ移行するまでの過程で、作品にも少しずつポルノの要素が増えていったそうです。私は既に日活を離れていましたが、小髙はまだ所属しておりましたので、その辺りの話も聞かされておりました。ある日、小髙が渡された台本を見て「やってられない」とばかりにゴミ箱に叩きつけたのを誰かに見られてから、日活との関係も悪くなってしまったとか…。とにかく役者として更なる高みを目指していたところ、日本にいる理由がないと思ったのでしょうね。当時は私も忙しくしていたので、小髙が密かにイタリアで挑戦したいという話は割と直前に聞かされました。

実は、小髙がチネチッタ撮影所に行きたいと思うきっかけは二つありました。一つは俳優座の一期上のモヤさん(仲代達矢さん)が、一足先にチネチッタ撮影所で西部劇に出演された話を聞いたことです。どんな作品かはわかりませんでしたが、小髙が「モヤが出てるので自分も」と呟いていたのを覚えています。もう一つは、小髙が親しくしていた大学の先生が声楽の勉強をしにイタリアへ行くという話を聞いたことです。その先生は小髙とあまり歳はかわらなかったのですが、何故だか「おとうさん」という愛称でした。この「おとうさん」の詳しい話はまた別の機会にしたいと思いますが、その方が留学するタイミングに合わせて小髙もイタリアに行きたかったというわけです。

まず「おとうさん」が先にイタリアに行って、小髙の住むアパートの手配などをしてくれていました。それから小髙は日活に見切りをつけて、日本を離れたのです。当初、イタリアに2年は住む予定でした。私はといえば、イタリアで挙式をしてから少しの休暇を取る予定でしたが、状況を見て一緒にイタリアで仕事を探すつもりでした。日活を離れてから6年が経ってドラマ出演などで忙しく活躍していましたが、やはり夫を近くで支えたい思いが強かったのです。ただし、マネージャーの小橋さんにはまだ言えないでおりました。今思うと、何とも言えない不安な気持ちがあったんでしょうね。小髙は元々病弱でしたし、何となく嫌な予感はしていたのかもしれません。

結局、イタリアでの挙式も小髙の夢も幻に終わりましたが、その後、療養の為に移住した葉山での生活が何事にも代えられないほどの価値あるものでしたので、私の中では帳消しになりました。おそらく小髙も…。そこで次回は、二人の葉山での暮らしについてお話ししたいと思います。

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