日活を離れてからは、松竹や大映などでの映画出演の他、新たにドラマへも挑戦しました。元々、演技の幅を拡げたい思いもあって日活を離れましたから、念願が叶ったものです。映画とドラマではどれほど勝手が違うのか興味津々でしたから、緊張は全くと言っていいほどしていませんでした。とにかく新しい世界への期待感が高まり、ワクワクしていたのを覚えています。
実際に撮影が始まって分かったことは、ドラマは映画の縮小版だということです。当たり前かもしれませんが、スタッフの数は映画の1/2〜1/3くらいでしょうか。撮影部隊はとてもコンパクトな印象でした。連続ドラマなので半年間は一緒に仕事をしますから、自ずとキャストもスタッフも家族のように親しくなりましたね。皆で一緒に食事をして、和気あいあいとした雰囲気の中で、気持ちよく仕事をしていました。あるドラマでは撮影がオフの日も集まってハイキングに出掛けたこともあって、写真が残っておりました。松竹映画で受けたカルチャーショックが嘘のように吹き飛んだのを覚えています。
さて、連続ドラマに主演した最初の作品は舟橋聖一原作の「白い魔魚」でした。ライオン奥様劇場で1965年3月1日〜4月2日までの25回にわたって放送されたものです。この作品は、まず1956年に松竹で映画化されておりました。当時は映画が先行される傾向にありましたが、映画での評判をみてドラマ化するかどうか決めていたとすれば、今の時代とは順番が逆でしたね。このように振り返ると、娯楽の中心が映画からドラマに移行する時代の中にいたことがよくわかります。「白い魔魚」を主演するにあたり原作者である舟橋先生ともお会いしましたが、このドラマは時間をかけてとても丁寧に企画されたものだという印象を受けました。
ところで、「白い魔魚」は岐阜が舞台でしたので、東京と行ったり来たりしていました。共演は同じく日活出身の沢本忠雄さんでしたので、気心が知れてとてもやり易かったのを覚えています。でも残念ながら台本は処分してしまったし、詳細を思い出すことができません。それで先日、念のためにサワタボさんに連絡して訊いてみたのですが、「俺、全然覚えてないから!」とアッサリ言われてがっかりしてしまいました。それもそのはず、もう60年近くも前のお話ですから…仕方がないですよね。機会があればドラマも見直してみたいものです。
次回は、ドラマ「楽天夫人」のエピソードについてお話しします。