映画によっては、撮影所だけでなく地方ロケに出かけることも少なくありませんでした。日帰りのこともあれば、泊りのこともありました。当時、日活には移動のためのバスが一台用意されていました。伊豆半島あたりですと、バスでだいたい4、5時間です。それより遠いところへは、電車で移動しました。ちなみに主役級の俳優は大抵、自家用車で目的地へ向かいました。機材や小道具、衣装などは専用のトラックで移動していました。
デビュー当初は、バスで移動する地方ロケがとても楽しみでした。当時の日活は若手の俳優が多かったので、移動中のバスの中はまるで修学旅行のような賑やかさでした。好きなおやつを持参して食べながら、時には当時の流行歌をみんなで合唱し、目的地に着くまで大いに盛り上がっていました。旅館に着いてからも、自然とみんながホールに集まり、当時はやりのツイストを踊って盛り上がり、バスの中の続きを楽しんでいたものです。17歳で北海道の田舎から上京しましたので、学生気分が抜けきらなかったこともありますが、地方ロケへの移動はワクワクしました。今でも懐かしく思い出します。
ところで当時、日活に役者として入社する方法は、大きく分けて3つありました。まずは日活の募集による採用、次に映画のオーディションに合格することによる採用、そして劇団などからの引き抜きによる移籍です。ちなみに夫の小髙は引き抜きによる移籍ですので、実力が買われての採用です。これに対して、私の場合は役者の経験がゼロからの採用でした。そこでお世話になったのが、劇団青年座です。デビュー当初は、映画に出るまでもなく、モデルの仕事も多くて忙しい毎日でしたので、期間はとても短いものでしたが、山岡久乃さんや初井言榮さんら大先輩に目をかけていただきました。青年座の役者は俳優座出身の方が多かったですし、日活映画にも数多く出演されていました。
話しは元に戻りますが、私が入社したころは、日活の募集でいえば4期と5期の間くらいです。日活の仲間は本当に仲が良くて、大部屋の出身だろうとスカウトだろうと分け隔てなくお付き合いしたものです。ですから、ロケバスの中でも大いに盛り上がりました。日活は、若い役者やスタッフのコミュニケーションがうまくとれていたからこそ、良い作品がたくさん生まれたのだと思います。日活の隆盛期に入社できたことは、役者としてとても幸運なことでした。
次回の投稿では、出世作と石原裕次郎さんについてお話しします。