恋人同士の共演「君恋し」の舞台裏

1962年に公開された「君恋し」は、小髙が主演俳優での唯一の共演映画でした。この作品に出演が決まった時は正直なところ嬉しさもありましたが、今までに感じたことのない緊張感も覚えていました。というのも、小髙と共演できる嬉しさの反面、交際していることに気づかれないよう十分な配慮も必要だったからです。加えて、この頃はすでに日活を辞めることを決意していて、密かに次の段階に進むための準備もしていました。ですから、この事も周囲に悟られないようにしなければなりませんでした。

実際、小髙とは事実上、同棲生活を送っていましたが、お互いに超多忙なこともあって、じっくりと膝を突き合わせて話をする時間はほとんどありませんでした。撮影はそれぞれ夜中であったり早朝であったりということで、すれ違いの生活だったのです。ですから、台本の読み合わせなどできませんでしたし、そもそもしようという気さえも起きませんでした。それよりも今後、日活をどのような形で辞めて次の段階へ進んで行けばよいのか、足りない頭を働かせておりました。

ところで、日活は石原裕次郎さんの怪我による長期の離脱や、赤木圭一郎さんの急逝などがあり、それまでの勢いに水が刺されたような状況でした。他方、日活は映画事業以外にもホテルやゴルフ場などの経営も行っておりましたが、役者である私たちの耳にもあまり良い情報は入ってきていませんでした。折りしも、娯楽の中心が映画から急速にテレビへと変遷していく中でしたから、映画の衰退が手に取るように見えていたのです。正直なところ、日活の経営に暗雲が立ち込めていたことは、その頃から既に肌で感じていました。また、映画制作の勢いが少しずつ衰えていると感じていたのも、私だけではなかったと思います。実際、荒唐無稽な無国籍映画など、人々に飽きられつつありました。でも、まだまだ表面的には日活も大きな路線変更を行ってはいなかったため、私の中で将来に対する不安は増すばかりだったのです。

一方で、映画の衰退を感じつつも、演じることの面白さがわかってきた頃でもありました。映画だけでなく、ドラマにも積極的に挑戦したいという意欲が湧いてきていたのです。プライベートにおいては、小髙との結婚が現実的になってきており、結婚するにあたり二人が同じ組織にいるのは都合が悪いのではないかとも考えていました。そのような事情により、日活を離れることに迷いはなかったのです。しかし、五社協定もあることから、とにかく穏便にどこにもご迷惑をかけずに静かに辞めることが求められておりました。

話は「君恋し」に戻りますが、小髙も私もそれぞれに他の仕事も抱えておりましたが、この映画の撮影はもちろん同じ現場になりますので、一緒に行動する事ができて楽な面もありました。普段はすれ違いでしたから、現場までのドライブが楽しかったのを覚えています。でも道すがら、お互いの演技について話し合うことはありませんでした。小髙は演技のベテランであっても、上から目線で意見を言う事は決してありませんでした。彼はお互いの仕事には干渉はしないし、自由であるべきだという姿勢だったのです。ですから、その後の進路についても、私の意思を尊重し応援してくれました。

お互いにこの共演が、日活でおそらく最後になるだろうということがわかっておりましたので、良い緊張感がありました。小髙も私も示し合わせた訳ではありませんが、「後世に遺しても恥ずかしくない、必ず良い作品に仕上げなければならない」という強い使命感を持って撮影に臨んだのです。このように「君恋し」は二人にとっての子供のような、とても大切にしたい宝物のような作品になりました。日活には、この作品をいただいたことを本当に心から感謝しています。

次回は、どのような手続きを経て日活を離れたのか、五社協定に絡めてお話しします。

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