楽しかったドラマ「楽天夫人」

日活を離れてから念願のドラマ出演を果たしましたが、その中でも印象に残る作品の一つに「楽天夫人」(関テレ、1967年1月6日〜6月30日、全26回)がありました。宝塚映画製作所の作品でしたが、1956年に松竹系で映画化もされておりました。念のためあらすじを確認しましたが、映画とドラマでは少し内容が異なっているかもしれませんね。いずれにしても、「楽天夫人」の主人公はとにかく明るくて機転の効く女性でしたので、根が明るい私にとっては役に入り易かったのを覚えています。因みに言えば、私の場合は与えられた役柄に自分自身をどのように合わせて行くのか、考えながら役作りをしていました。当然の事ながら、等身大の役柄の場合はとても楽に役に入ることができます。台詞も自然に自分のものになったものです。

さて、ドラマの舞台は、大阪の千里ニュータウンにあるアパートの一室です。当時は1970年に開催が控えていた大阪万博の準備のため、街全体が大変盛り上がっていた時期と重なっておりました。戦後、日本の復興の象徴的なイベントとなった大阪万博でしたし、会場に隣接する千里丘陵は建設ラッシュでとても賑わっていたものです。人々の気持ちも前向きで明るく、このドラマの主人公の明るさも手伝って、私自身も大いにやる気に満ち溢れていたのを思い出します。

ところで、ドラマの撮影では宝塚の撮影所と千里ニュータウンを行ったり来たりしていました。アパートの中は撮影所のスタジオで収録しますが、玄関の出入りは実際のアパートで行われました。また、アパートの近くのスーパーで買い物をするシーンは、実際に現場近くのスーパーを借りて撮影されました。その際、身に付けるものなどの小道具や衣装が、ロケーションとスタジオでの撮影とで齟齬がないようにしなければなりません。スクリプターさんの記録が頼りになるところですが、当時は私たち俳優も記憶しておくべきものでした。小道具といえば、私は吸いませんが、タバコの長さにも気をつけなければなりませんでした。例えば、スタジオで撮影された時に吸っていた長さと、玄関を出た時の長さが違っているわけにはいきません。このドラマでは日常生活を送る上での出来事をベースに物語が展開していきましたので、いつも細かい配慮が必要とされていました。

ドラマの撮影は半年以上に及んだでしょうか。期間中はキャストはもちろんのこと、スタッフとも家族のように接しておりしたのでとても仲良くなりました。撮影がお休みの日でも集まり、家族同伴でハイキングに出かけたこともありました。それから宝塚の撮影所の側には川が流れていて、撮影の休み時間にその川で釣った魚をその場で焚き火をして焼いて、みんなで食べた事なんかもありました。こんなに和やかで楽しい撮影期間を過ごしたドラマは、後にも先にもありませんでしたね。

最後に宝塚といえば宝塚歌劇団ですが、撮影所の敷地の中に宝塚劇場がありました。実は、撮影所の裏口から劇場の裏口へ通じておりましたので、こっそりと覗きに行った事がありました。長姉があこがれていた宝塚、幼い頃に姉から話をずいぶんと聞かされておりましたので、実際はどんなものなのか、どうしても覗いてみたくなったのです。初めて見た時の衝撃は、今でも忘れる事ができません。「楽天夫人」で日常生活を演じていた私にはものすごく刺激的でした。ゴージャスなステージと煌びやかな衣装を身に纏っているタカラジェンヌは、非日常そのもの。何という夢の世界に来てしまったのだろう?!と、しばしボーッとしてしまったのを覚えています。

そんなわけで、撮影はもちろんの事、プライベートな時間もとても充実していた「楽天夫人」。娯楽の中心が映画から急速にドラマへと移行する中で、この作品に主演できた事は幸運でした。とても感謝しています。次回も引き続きドラマのエピソードについてお話しする予定です。

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