地井武男さんとの思い出

地井ちゃんが亡くなってもう10年になるのですね。改めて月日の流れの早さを感じています。地井ちゃんとは「北の国から」で夫婦役を演じましたので、ドラマ開始から最終話まで約20年間ご一緒させていただきました。私のキャリアの中でも、長期にわたって夫婦役を演じたのは地井ちゃんだけでしたから、亡くなったと聞いた時は寂しさもひとしおでした。因みにドラマが開始されたのが1981年、最終話が2002年、地井ちゃんが亡くなったのが2012年、そして今年が2022年です。初めてお会いしてからもう41年なんですね。

地井ちゃんは一言で言えば、ひょうきんな人。とても明るくて話題も豊富でしたから、自然と周りの人たちを笑顔にさせてくれましたね。具体的には言えないけれど、自虐ネタもたくさんあって随分と笑わせてくれました。もともと役者を目指すきっかけになったのが、日活映画への憧れとか。特に裕ちゃんが好きだったみたいで、独特な歩き方のモノマネを披露してみんなの笑いを誘っていました。裕ちゃんだけでなく、旭さんや錠さんのモノマネもすごく上手かったですね。日活への憧れが過ぎて、夜中に撮影所にこっそり忍び込んで夜が明けるまで銀座のオープンセットに佇んでいたというエピソードを聞いた時に、役者になりたいという若き日の地井ちゃんの熱い想いが伝わってきたのを覚えています。

さて、ドラマの撮影は殆どが富良野でのロケーションでしたし、夫婦役でしたので行動を共にする機会も多くありました。定宿にしていた富良野プリンスホテルにはテニスコートがありましたので、撮影の合間に2人で硬式テニスを楽しんだこともありました。地井ちゃんは学生時代に軟式庭球をやっていたそうで、乱打をしながら「やっぱり軟式が一番だ」なんて言ってましたっけ。そうそう、状況に応じて私に対する呼び方も変えていました。大抵は「まゆみさん」って呼んでくれるのですが、調子に乗っている時は「まゆみ」と呼び捨てにされることも…私の方が年上なんですけれどね!あるいは改まって何か言いたい時には「清水さん」って呼ぶのです。そうやって人の懐に入ってくる方でしたから、本当に多くの人から愛されていたと思います。

ところで、「北の国から2002遺言」(2002年9月放映)では、私が癌で亡くなるシーンがありました。実は、リハーサルから地井ちゃんは本気で泣いていたのです。本番さながらの迫真の演技というよりは、撮影の前の年に亡くなられた奥様を思い出して感情移入してしまったのでしょうね。棺桶で寝ていて、もらい泣きしそうになるのを堪えるのに必死でした。とても気の毒で気の毒で…最愛の伴侶を亡くされて、まだ立ち直れていなかったとわかり、とても切ない気持ちになりました。そういえば富良野のロケーションでも、この当時はお酒をかなり飲んでましたね。寂しさを紛らせていたのかなと思います。

この撮影の10年後に地井ちゃんも帰らぬ人となりましたが、休業の折、追悼の言葉も述べることができないでおりました。今、こうして思い出をお話しする機会があって少し救われた気持ちです。地井ちゃんの笑顔、けっして忘れません。本当にたくさん笑わせてくれましたね。思い出すと少し泣けてきます。とても楽しい思い出ばかりです。ありがとうございました。

田中邦衛さんの一周忌に寄せて

田中邦衛さんと初めてお会いしたのは、「北の国から」の本読みでご一緒した時でした。邦衛さんは俳優座のご出身で小髙の後輩でしたし、存じ上げてはいたのですが、実際にお会いしたのはこの時が初めてでした。そして最近、日活を振り返る活動をしている中で、意外にも邦衛さんが日活映画に出演されていたのを知って驚きました。小髙とも共演しており、スチール写真も自宅にちゃんと保管してありました。日活時代に全くお会いする機会がなかったのは、とても残念に思います。

ところで、俳優座出身の皆さんは小髙のことを気軽に「尊ちゃん(そんちゃん)」と呼んでくださっている中で、邦衛さんは「小髙さん」と呼んでくださっていました。年齢は小髙よりも一つ年上でしたし、気軽にお呼びいただいてもよかったのですが、俳優座で後輩だったという姿勢を崩すことなく、気を遣われていたんですね。そして、病気療養をして俳優としての仕事ができなくなってしまった小髙を気遣ってか「小髙さんはお元気にしておられますか?」と、お会いする度に必ず声をかけてくださったのです。とても紳士で、礼儀の正しい方でしたね。邦衛さんとお会いすると、温かい気持ちになったのを覚えています。

話は「北の国から」に戻りますが、ロケ地は北海道の富良野市で、役者やスタッフの定宿は富良野プリンスホテルが指定されておりました。ロケ地に前日入りしたある日、夕食には少し早かったのですが、一人でしたし簡単に済ませてしまおうとレストランに向かいました。中途半端な時間でしたのでどなたもいらっしゃらないと思っていたら、邦衛さんがお一人で入って来られたのです。奇遇な事でしたからお互いに少し驚いたところで、邦衛さんに席をご一緒しないかと誘われました。照れ屋な邦衛さんらしく、口を尖らせながら「まゆみさん、ワインでもどお?」って気軽に声をかけてくださったのです。実は、それまで小髙以外の男性と二人でワインを飲んだことが一度もなかったので、正直言って少し戸惑いましたが、せっかくの機会なのでご一緒させていただくことにしました。

ほんのひと時でしたが、邦衛さんとワインをいただきながら和やかに過ごしたのを覚えています。とても貴重な思い出です。ドラマは長期に渡りシリーズ化されましたが、小髙の療養も考慮していただき出番を少なめにしていただいたこともあって、後にも先にも邦衛さんとお食事をご一緒したのはその一度きりでした。ドラマも2002年で区切りがついてから小髙の看病に専念しましたので、その後に邦衛さんとお会いする機会は、残念ながらありませんでした。

邦衛さんがお亡くなりになってから早一年、お世話になったお礼の言葉を直接、伝えることはできませんでしたが、今回このような形で思い出を語ることができて、気持ちが少し楽になりました。気になっておりましたので、本当に良かったと思っております。この年齢になりますと、別れが多くなるのは仕方のないことですが、元気なうちに出逢った方々に感謝の気持ちをお伝えしていかなければならないと思っております。

Copyright © 2021 - 2023 Smart Office One. All rights reserved. 無断転載厳禁