日活時代を振り返って(前編)

自宅に保管している64冊の台本を眺めながら、当時のことを思い出していました。デビューは1957年の「月下の若武者」ですが、訳も分からず言われた通りに動いて、たった一言の台詞を言うのにも精一杯でした。それから、徐々にモデルの仕事で多忙になり、演技の勉強をする時間も思うように与えられない中、見様見真似でなんとかやりこなしていたのを思い出しました。それでも、清水マリ子としてデビューしてからは、まだまだ映画の出演も数えるほどでした。

ところで、石原裕次郎さんとご一緒した1958年の「赤い波止場」への出演が、役者としての覚悟を持ち、演技とは何かを考えさせられるきっかけになった事は、すでにお話した通りです。この映画をきっかけに、私自身も役者としての自覚が芽生えたのと同時に、日活も積極的に登用し始めた事を覚えています。芸名が「清水まゆみ」に改められたのも、ちょうどその頃です。それを証拠に、1959年から1962年までの間に出演した台本の数は、47冊もありました。

その47本の映画の内、15本は和田浩治さんとの共演になります。手元に残っているスチール写真のほとんどが、ヒデ坊と共演したものですから、いかに共演数が多かったのかを物語っています。おそらく日活では、ヒデ坊を第二の石原裕次郎として育てたいということで、シリーズものを作って売り出したのではないでしょうか。今思えば、ちょうどそのタイミングで、私も積極的に登用され始めていましたので、都合よくコンビとして成立したのではないかと思っています。

当時の娯楽の中心は間違いなく映画でしたから、まずは面白さが要求されていました。更に、人々がワクワクするようなものであること、キラキラしていて羨むようなものであることが求められていました。ですから、日活の無国籍映画がもてはやされたのでしょうね。御多分に洩れず、ヒデ坊とのシリーズものは、荒唐無稽で漫画的な内容のものが多かったように思います。

睡眠時間も限られ、忙しく仕事をしている日常を送る中で「自分自身は何者なのか?」と、思い始めたのは1961年頃でしたでしょうか。自分は果たしてこのままでよいのだろうかと、疑問を抱き始めるようになったのです。

(後編に続きます)

デビュー作「月下の若武者」(1957年)

津川雅彦さんが主演する「月下の若武者」で、主役の相手役を募集するオーディションに合格したのが、デビューのきっかけでした。津川さんとは同じ年の早生まれ同士でしたし、主役はお殿様でしたから、てっきり、お姫様の役をいただけるものと思っていました。しかし、ふたを開けてみれば「遊女」の役だったのです。初めての映画出演で、お姫様の衣装に身をまとっている自分を想像していたものですから、ものすごくがっかりしたのを覚えています。

想定外だった遊女の役ですが、セリフはたったひとつ「不束者にございます」というもの…たったこれだけのために日活はオーディションを行ったのかと、少々戸惑いました。しかし、実際に出演してわかったのは、たったセリフひとつの撮影でも簡単ではなかったということです。映画のスクリーンでは、役者たちが演じている様が映し出されますが、観る側はその完成された映像が制作されるまでの過程を知ることはありません。布田の撮影所で行われた、たったワンシーンの撮影でしたが、準備から撮影までに丸一日を要しました。この映画は、映画界で初めて採用された「総天然色の日活スコープ」でしたので、スタッフの準備も実に入念なものでした。ライト、カメラ、小道具などの準備がすべて整うまで、現場はバタバタしていました。

田舎から出てきた少女は、なすがままにメイクをされて衣装を身にまとい、かつらをつけられて、所定の場所で長い時間、待機させられていました。初めてで訳が分からない中でしたが、見るものすべてが興味深いものでした。いざ、演じる段になってからも、ライトやカメラの調整が細かくされていたので、何テイク行われたのか、はっきりと覚えていません。緊張の中、ようやく撮影が終了して、重たい衣装やかつらを外した時の解放感は、今でもよく覚えています。映画の撮影は、たったワンシーンでも簡単ではないことを思い知らされました。

ところで、相手役だった津川さんとの共演は、この作品だけでした。津川さんも翌年には松竹に移籍され、その後フリーになられましたが、残念ながら接点はほとんどありませんでした。でも、この作品のお陰で役者の世界にはいることができましたから、津川さんとの出会いは私にとって特別なものです。一方、お兄様の長門裕之さんとは、日活の時代、そしてフリーになってからも交流がありました。長門さん夫妻との思い出は、また別の機会にお話ししたいと思います。

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